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新着記事

2008年02月08日

・・・

・・・

書けません・・・
いろんな意味で・・・
posted by yuichi_saito at 01:03| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月06日

タイトルなし

昨日の削除した記事と被るんだけど、就職のときに出身の大学や大学院を記入する欄はあっても、出身の塾を記入する欄はない。

なぜ学校が軸である必要があるのだろう??


以下、昨日削除した記事の一部分です・・・
学校という機関にどう接するのか、基本スタンスを書きました。

【ここから】

というか、現在のすべての行動は将来の夢のための活動です。そこを軸にして考えてます。なのでどの機関に属しているかが大切か…というわけではありません。

世間一般では、学校という場所において学ぶということが普通の考え方なのかもしれませんが、私はそうは思っていません。学校で学べることと学校外で学べることの両方があって、それをどうやって組み合わせて夢に向かって自分なりの学習をしていくのか、キャリアプランを考えるのか…ということが大切ではないでしょうか。

学校外は学校を卒業してから…という考え方もありますが、私の場合はそれでは遅いという背景があります。リミット期限が28歳なのでそれまでに結果を残さないと…



まぁでも、学校は世間的に評価されている機関なので、ある程度重視されるのは当たり前ではありますね…(一般的には就職活動で出身大学を問われることはあっても、出身塾を問われることがないのは、学校という機関により信頼が寄せられているからだと思います。)

そんなことはさておき…
夢を軸にして考えて、学校で学べるところは学校で、企業で学べることは企業で…というのが基本スタンス。


夢への実現については、去年の10月の時点で2年前の目標がほぼ達成され、現時点ではこちらに比重を逆転させています。(大学院そのものが大切なのではなく、さらなる飛躍のための大学院なだけであって、それ以外に何か特別に意味があるわけではないです…。)

もっともっともっとその先を見ていて、現時点では大学院で使える部分を学んでおいたほうがいいだろう…と。


そんなこともあって、"大学院生が仕事をしている"のではなくて、"私が大学院生をしていて"、"私が仕事をしている"…ととらえてます。つまり、私という人間が2つを管轄しているという感じでしょうか。メタ的な視点で大学院を捉えてます。

よく「学生なのに偉いですね」というお言葉を頂きますが、それはほめ言葉でもなんでもなかったりします。だって学生が仕事してるんじゃなくて、私が学生をしていて、私が仕事してるだけだもん…。(軸を学校ではなく夢においているからでしょうか)

(この私個人が2つを管轄するという考え方の根本は「志村けん」さんの本が影響してます。ご興味ある方は読んでみてくださいね。志村けんさんは、キャラクター管理を徹底していますが、それが凄いのなんのって・・・[私の場合はキャラ管理ではなくて、身分管理において志村さんの考え方を転移させてます])
【ここまで】


この記事のなかのこの一説・・・

>まぁでも、学校は世間的に評価されている機関なので、ある程度重視されるのは当たり前ではありますね…(一般的には就職活動で出身大学を問われることはあっても、出身塾を問われることがないのは、学校という機関により信頼が寄せられているからだと思います。)


わたしは将来的にはここの壁に挑戦したいと思っています。
たとえば学校推薦で就職が決まるのではなくて、特定の塾に一企業に入るための推薦枠があるのが当然・・・という世の中です。

これは裏を返せば、信頼性のある塾ということになります。
海陽学園のように企業そのものが協力して、学校という組織を作り上げるアプローチ法もあるかもしれませんが、それでは塾業界が活性化しません。

通常の学校と塾との関係性が変わらぬままになってします(このことについてはまた気が向いたら書きます)





いくつかのステップにわけていて、現在はゼロ段階ではあります。

でもね・・・
実はとある日本を代表する企業の方から、私のグループに属している先生を紹介してほしい・・・とご連絡いただいてます。

これは裏を返せば、それだけ力のある先生たちがいる・・・と解釈することも可能だったりします(たぶん他にも理由がありますが)


あんまり詳しいことはかけませんが・・・



ではまたー☆

posted by yuichi_saito at 22:54| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月05日

今日の記事

は・・・

30分くらい深夜にアップしてすぐ消しちゃいました。
posted by yuichi_saito at 19:25| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月04日

ガッコも最後だね

ガッコも最後かぁ…とぼやくだけ(^^;)

ネタがないわけではないのですが、すみません。


posted by yuichi_saito at 00:12| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月03日

やばいよなぁ

さて、どしよ・・・
posted by yuichi_saito at 01:56| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月02日

卒業する怖さ、肩書き、落武者

卒業するのが実は怖かったりする。

こんなことを書くとヘンな人だなぁ…
って思われるかも知れないけど…。



別にモラトリアムというわけではない。

仕事は大好き。
仕事してるときが一番楽しくて楽して仕方ない。
社会でばりばり仕事をしたい。


卒業することへの恐怖は、社会へ出ることへの怖さではなくて、肩書きがなくなることへの恐怖だったりする。


たかが肩書きかもしれないけど、されど肩書きなんですよ。

「東工大院の斉藤です。」

やっぱり強い。
昨日の記事でも書いたけど、あれだけ有名な方々に会えたのが大学院があるからであって、それがなかったらムリ…。

一個人では絶対に会えない。

大学院ありきで、その大学院の授業を有効利用できたからこそなしえたことだもん(というか、それを利用すべきときなので利用しただけです)


卒業すると…
「東工大院の斉藤です。」
ではなくなる。

「○○○の斉藤です。」
に変化する。




ほとんどの人は学校を卒業したあとにも、きちんと肩書きがある。

友人の例で言えば…
「KDDIの××です」
「ANAの××です」
「SONYの××です」
「日本生命の××です」
「東京三菱UFJ銀行の××です」
「アクセンチュアの××です」
「はてなの××です」
「NTTドコモの××です」
「日本IBMの××です」
「富士通の××です」

自分の名前にきちんと冠名がつく。

それが有名であればあるほど、一般的には信用されてるからものすごい力を手に入れることができる(逆に、その強大な力を操れきれないと自滅するのも早いけど)


大学院の友人たちはほとんど大企業に就職する。
みんなそれら肩書きを名乗って4月から活動をはじめる。



でも、私の場合は違う。
これまでついていた冠名である「東工大院の…」が消える。
他の弱小冠名になる。

つまり、冠名に威力がなくなって逆に力が衰えることになる(あくまで見た目の…です。本人の実力は衰えませんが)

当然、個人としてそれだけの力があれば問題ないわけだけど、他からみて「東工大院の…」という冠名に変わるだけの力があるか?と言われると疑問符がつく。

これだけ歴史がある冠名だからこそなしえたことも多い。
というか、これがなかったら今はないと思うことが多々…






会社や何かの団体に依存しないで、自分で何かをやとうとしている方はきっと同じ気持ちを味わってると思う。

この冠名のなくなる怖さを…


起業なんてそうそう簡単にできるもんじゃない。
自分の一生涯、人生すべてを捧げられるほどの情熱と思いと不屈の精神がないとまずムリ。しかもこれは最低限の条件。これがないんだったらやめた方がいいと思う…


ある人が成功するのは1500人に1人って本を書いていた(成功の定義も、どういう統計データから導いた数字か知りませんが)けど…。

大変であることには間違いない。


何か事業を興そうとする人は、冠名を作ることに必死になる。

「○○のAです」
という、○○の部分をどうやって作り出すかを必死に考える。



さっきあげたいくつかの冠名も一番はじめに作り出した方がいて、それがここまで信頼されてるからこそ強力な力となってる。


みなさんは一個人としてやっていく勇気ありますか???




当然現在つとめている企業名も通っている(いた)大学名も高校名だってそうだし、資格もそう。

これまで積み上げてきたありとあらゆる冠名を捨ててもそれでもなおやっていける勇気がありますか?



その人の本当の実力は、すべての冠名が全くなくなったときにはじめてあらわれる。

よく大企業で成功して起業して失敗するケースがあるらしいけど(本で読んだだけです)、これなんてまさに典型的な冠名の恐ろしさを理解していないケース。

それはあなたの実力なのかどうかをよく見極めないと。
冠名によって、人はバイアスをかけてみちゃうんだから。
(賢い人は、この冠名によるバイアスを取っ払って人を見れます。ちなみに声の大小だとか雰囲気だとか余計な情報は取っ払って、その人がしゃべる内容だけで人を判断できます)


その冠名によっての業績なのか、それとも本当に個人としての業績なのか。






状況は刻一刻と変化する。
その状況の変化に対応できるだけの力を身につけないと…






p.s.
今日、研究室で私の顔をみて「だんだん落武者みたいになってきたね・・・」と言われた(^^;)

そらねぇ…

どうしてかって?
ご想像にお任せします…


つうか写真調べたけど、落武者じゃねーだろ!!
はげてねーぞ!!
(↑つっこみどろこが違います)




あっ…
ちなみにあんまりこういう系のネタは好きじゃないです(^^;)

以前も「ほめられることの危険性」とか、すぐ消しちゃったし…。

「ほめるとほめられるの関係性」をきちんと理解してほしいと思って書いたのですが、またいつか書くかもしれませんが…



posted by yuichi_saito at 00:47| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年02月01日

絶叫した

研究室絶叫2回目・・・

まじでシステムむり・・・

バグーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
posted by yuichi_saito at 06:09| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

必要条件的思考と十分条件的思考、塾の先生

思考習慣でその人の人生は決まるよね・・・


必要条件的思考と十分条件的思考って勝手に名付けてみたけど・・・(きちんと書きたいのですが、あんまり時間取れないので細かいことはまた4月以降にでも・・・)

簡単に掻い摘んで書くと・・・
必要条件的思考は、どんどん思考を狭めていく典型的な思考ね。どんどん狭い範囲のことに絞って考え続けていくんよ。興味ない部分には目もくれず、ひたすら狭く狭く狭く狭くある分野を突き抜けてく・・・

十分条件的思考は、それもあるよね、それもあるよね・・・って思考を発散させて考えていく思考。


どっちがよくてどっちが悪いとかは別にない・・・




私の場合は、典型的な必要条件的思考。

興味ないことは一切しない。
その変わり興味のあることは、群を抜いて突き抜ける。
狂ったようにひとつのことを繰り返し、繰り返し、繰り返す。

他の人が見たら飽きないの?って思うほどに同じことを繰り返す・・・。めちゃくちゃこだわる。何か脳の障害かと思われるほどに繰り返す。




どんどん絞って絞って絞ってその分野におけるトップクラスまで登りつめていくには、必要条件的思考が大切。

ベンチャー企業のトップはおそらくこちらの思考習慣のほうが勝つ。大企業は、より広い範囲の思考が大切だからこの思考習慣じゃダメで、トップは十分条件的な思考を持ってないと・・・。公務員とかもそう。





学校における教育と企業における教育については、この思考の違いが思いっきり出てくる。

学校は基本的には、十分条件的思考を大切にする。
「できないところがあるから、できない部分をきちんとできるように教育する」というスタンスを取るのが学校。

企業は違う。必要条件的思考を大切にする。
「できないことを教えても時間とお金の無駄だから、得意なところをのばしなさい」というスタンスを取るのが企業。

何かに突出してないとやっていけないのが企業。

だから企業における教育と学校における教育はスタンスが全く反対。真逆。



もちろん学校教育といっても、年齢による違いも当然ある。
基本的には低学年ほど全国民共通の教育で、学年があがればあがるほど個別的な教育になっていく。


そう考えると・・・
最高峰の教育機関である大学院は????


めちゃくちゃ個別的になるよね・・・



そうすると思考習慣に偏りが出るか????
う〜ん・・・

なんだかここの研究室は違うような気がする。


公立学校の授業そのものを研究対象にしてるせいなのかよくわからんけど・・・



内容面は特化しまくってるのかもしれないけど、思考習慣は十分条件的思考が大切になってくる。


メタ認知するには、十分条件的思考が大切。
他の思考との関係性のなかで、どの思考を使って考えるのかを考える必要があるからだろうなぁ・・・。必要条件的思考はメタ認知うんかんぬんじゃないもん・・・




大学院に来てから、得たもの、失ったもの・・・
たくさんあるわ。


「選択とは捨てることだ」と誰かが言ってたような気がするけど、まさにそんな気がする。

この道に来て本当に良かったのかわからない。

塾や大学院なんぞにいかないでガッコの先生をやってたほうが幸せだったのかもしれない。




塾の先生と出会いで人生が変わった。

その先生は今も塾の先生してます。
小さい小さい塾の1教室を持ってる。



大学院卒業するときにまた会いにいってみようかな?

「先生のおかけでここまで来ました」って。




何度か会いにいった。
1回目は18歳のとき大学に合格したとき。
2回目は20歳のとき塾の授業で悩んでたときに相談しにいった。
3回目は・・・???25の春か?

相変わらず板書の丁寧さは天下一品だったよ。
あれは全国区だろっ・・・
冗談もおもしろくて、ルービックキューブの全面揃えるスピードも衰えてなかった・・・(^^;)




教育実習のとき、その先生の教え子が教室にいたときには本当にうれしかった。

大好きだったその塾の先生が、中学生のときに教えていた教え子Aさんを、その塾の先生の元教え子である私が教育実習生として、高校生であるAさんに教えてた・・・

ある塾の先生の教え子(私)が、同じ塾の先生の教え子であるAさんを異なった場所で教えてた。


なんだろね・・・






話がそれまくってるけど、許してください。

典型的な必要条件的思考だった私に十分条件的思考が身につくのかなぁ・・・


今は将来の土台を築くべきとき・・・か。
絞りすぎて特化しすぎるのもよくない、という捉え方もできるね。


まぁ、いろんなすごい人たちに出会えることは今後の糧になります。一昔前だったら、"ラベル名"見聞きしただけで尻込みしてたけど、やっとこさ薄っぺらいものだと気づいた。

色々な方のおかげです。
これは完全に大学院のおかげです。

そもそもマイクロソフトアジアの副社長なんかそうそうあえないよ。ぐるなびのトップだって会えない。ノートパソコンを作った東芝の方だってあえないし、教育工学の第一人者の方々のそばにいれることだってありえない。富士通アジアのトップだって会えないし、アフラックのトップだって、センター化学の問題集で販売部数日本トップを取った方だって会えないよ(家庭教師の面談のときに問題集が出てきたときは「さすがだ」と思いましたよ、みかみ先生)。


この2年間は本当に色々な出来事があったわ。




これからももっともっとがんばる。
イヤ、がんばらないと!!



そういえば、現在運営している塾の権利を譲ってくれる方のお話はどうなってるんだろ??

立て直しからでも何でも私はやる気満々です。



ぐだぐだですが、日記なので許し下さい・・・(^^;)







posted by yuichi_saito at 02:39| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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