「世界連鎖恐慌の犯人 ほんとうの地獄はこれから始まる!」著者 堀紘一
すんごく端折って書くと…
(専門ではないので、適当に読み流してくださいね)
要は、アメリカの金融資本主義が台頭してきたのが原因で、アメリカのインベストメントバンク(投資銀行。日本だと証券会社)のトップらがこのままでは年収2億とか3億で終わっちゃうよね?と思って、もっと稼ぐために新しい金融商品とかを現実を知らない金融工学の天才たちに作らせて、巨額の金額を世界で動かしてお金儲けに走ったのが原因だとか。
もちろん法律違反はしてなくて(違反ギリギリラインをクリアするために、弁護士をたくさん抱えていて)、法律的にはまともに商売しているみたい…
結果、彼らは、年収数十億とかそういう世界へ行けたのはいいけどそれによって、彼らのようなお金の亡者たちによって、金融の世界のバランスが崩れ、無茶苦茶に…。
もちろん、こういった無茶苦茶の状態にならないように、金融工学の天才たちは、数学を駆使して、きちんと計算していて、100万年に1回くらいの割合でしか起きえない…としてるみたいだけど、それがいともあっさり起きてしまったという。。。
数学を教えている身から考えると、確率論の大前提になっているものをきちんと考慮して計算したのかな?というのは単純に思ってみたりはするんだよね…
簡単な例をあげると、サイコロを1回振って、1の目が出る確率は、1/6ではあるけれど、それはあくまでも、どの目が出る場合も「同様に確からしい」という前提条件を満たす場合のみです。
この前提条件を満たさないのであれば、そもそも確率計算しても、理論値と現実値はかけ離れてしまうわけで…
特に、これが人間の感情面を入れたりすると、確率的な数字はけっこう崩れます…
よく数学の問題でも、「40名の中から委員長を2名選びたいと思います。Aさんが選ばれる確率を求めなさい。」なんてあるけど、これなんてまさに典型例です。
もちろんクジで選ぶなら、いいのかもしれないけど、一般的に現実世界でのクラス委員を選出する場合は、クジじゃないです。クジでいやいやで委員長を決める…なんてないでしょ?
そもそもこの40名にはこれまでの付き合いがあって、誰がリーダー格で…とか、すでに役割分担のような構図ができてるのが普通です。
そうすると、他薦や自推とかがあったりもするし、必然と、上記の計算上の確率の数字は実態を示さないことになります。
誰が委員長になるのかは、そもそも初期状態で、クラスのひとりひとりについて、選ばれる可能性が「同様に確からしい」なんてことはありません。
リーダー格の生徒と、おとなしい性格の生徒が、委員長になる確率は同様に確からしくないですよ。
数学の世界はあくまでも理想化された世界でのお話だから、そのあたりを踏まえて考えてないとマズイんだけど、どうだったんだろう?
う〜ん…
というか、インベストメントバンクの世界ってすんごいですね…
東工大の大学院の先輩でも、モルガン・スタンレーに就職した先輩を知っていますが、「これからはお金だけの世界だからね」と言ってました…(^^;)
「理論をお金に換えるんだよ」だそうです…
印象的だったのが、大学院の卒業前に渡された学習教材の量…
あまりの多さに勉強しきれないみたいで、卒業式のときに、拍手変わりに本をパタパタさせてたそうです(つまり、卒業式の式典の最中もずっと勉強しっぱなし、ということです)。
この本にも、20代後半で年収2000万とか、年収4000万くらいとか、そういうお話も出てくるし、確かゴールドマン・サックスがボーナスで平均8000万くらいだっけ?なんか話題になってましたよね…
著書の堀さんは、年収10億くらいでオファーがあったとか。
そんなこともあるみたい。
う〜ん…
この本では、「生き血をすする」かのように、お金を搾り取ることが当たり前の世界と書いてあります…
インベストメントバンクから転職された2名は、こういった現実に嫌気がさして、もっと社会貢献になることをしたいと思ったそうです。
(もちろん、きっとインベストメントバンクの内部での教育では、これが社会貢献になるんだ!とか言ってるとは思いますよ。そういってトップの方々が社員を正当化してあげないと組織がダメになっちゃうから…。おそらく上記の2名はそれはおかしいと何かのきっかけで気づいたのかもしれません)
う〜ん…
私だったら、そんな仕事絶対やりたくないんだけどなぁ。
たぶん生きる活力がどんどん減っていって、半ば死んだも同然になると思う。いわゆる、廃人になりそう…
そんな人生でほんとうにいいと思ってるのかな?
なんだか複雑な心境になります。。。
p.s.
大きな組織になればなるほど、言いたいことが言えなくなっていくんですね。
著書の中に、「沈黙は金なり」というフレーズがあって、一部上場企業のトップがこういったことを書くと、各方面との関係があるので問題が出てしまう…とのことで、思わずなるほどと思ってしまいました。
う〜ん…
私は真に教育的だと思うことを述べていきたいといまも思ってるんだけど、関係する人数が多ければ多いほど、一般論で誰が聞いてもまとも…みたいになってしまったりするのってなんだかイヤだな。
現実世界は、そんなにきれいなことばかりじゃないのに…
(特に、教育の場合は言葉だけがキレイなことってしょっちゅう起きてるでしょ?現実が伴っていないというかなんというか)
でも、少なくとも言えることは、私は常に現場の子どもたちのための教育でありたいという気持ちは絶対に変わりません。
というか、もしこれがなくなったら、もうこの業界から去るべきですよ。
じゃないと子どもたちがかわいそうだもん…
あぁー
もっともっと私自身も学んでいかないとだー。
最近、やたらと色々なことへの学習意欲が高くなりすぎていて、気持ちばかりが行き過ぎてる感があるので、バランスとらないとだね(^^;)
面白くて面白くてしかたないんだもん。
楽しい人生をありがとうございます☆
みんなにいつも感謝しています。
ありがとう。