その子は、はじめ学年で下位1割くらいだったんだけど、上位1割が普通になるのも、たぶん時間の問題ではないかと思ってます。
何がすんごくいいかって?
まず表情がいい。
しかも勉強そのものを楽しむ姿勢ができてきてるんですよ。
内容そのものもしっかりしてるんだけど、この子の場合はさらに、自分から勉強にゲーム性を取り入れるようになりました。
たとえば…
「赤丸なら2点。青丸なら−2点。緑丸なら−5点で!!合計−15点だったら、宿題倍にしていいですっ!!!!」
と自分から点数配分や罰則規定?を決めてくれてます。
ちなみに、この赤丸と青丸と緑丸については、最近の私の指導で導入していて、分類基準は以下のようにしてます。
・赤丸:ノーヒントで自力正解
・青丸:ヒント1回で自力正解
・緑丸:ヒント2回以上で自力正解
です。
よく素人の指導者が心得ていないといけないこととして、「教えずぎ」という問題がありますよね。
教えすぎる障害は、たぶん強調してもしきれないくらいのことだとは思いますが、本来、生徒を指導する目的は、自分で考えさせてあげることによって、生徒の思考を鍛えることにあるはずです。
点数を取るために思考力の育成をおざなりにして、丸暗記に走るのは愚の骨頂ですよ…(目的にもよります。緊急に点数が必要な子もいるので、そういう場合はもちろん別ですよ。)
生徒の思考過程そのものを鍛えることこそ、もっとも指導で必要なことであって、教科書に書いてあることをそのまま教えることに比べたら、比較にならないほど思考過程を鍛えるほうが価値があります。
そう考えると、思考過程を鍛えるうえでは、教えすぎることははっきりいって最悪。
ある意味では熱心で丁寧な先生とも受け取れるわけだけど、それは専門家からみたらダメダメ。
みる人がみればダメなのは一瞬でわかる。
可能な限り教えない。
だけど、本当に何も教えないで自分でできる生徒であれば先生はいりません。
この微妙なさじ加減が本物のプロとアマの差だったりします。
この微妙なさじ加減をとりあえず、形式レベルであっても他の先生たちができるように現在考えることがあって…
私の最近の指導では、丸をつける際に区別をするようにしてます。
本来は○か×か…なのかもしれませんが、×表示は基本的にせずに、青丸と緑丸を導入する。
これは、生徒が間違えることは当たり前なんだからわざわざ×をつける必要ってそもそもあるのか?という疑問点と、生徒の思考過程を鍛えるという2つの側面から、3タイプの丸にしました。
青丸は、できなかった問題に対して、1ヒントを提示して、そのヒントを手掛かりに再度挑戦してもらうってできた場合につけることになります。
生徒本人だけでは、気づけないポイントだったり、どう問題を見ていくかだったりの切り口など提示することによって、思考停止状態になってしまった生徒の頭を再度回転させるためのヒントを提示する。
要は、思考を促す発問をすることになります。
たとえば、わかりやすい例でいうと、単なる計算ミスによる間違いであれば、「計算間違ってるね」というのが1ヒント。
これによって、生徒に自分で間違いを発見してもらう作業を取り入れ、自力でミスを探す訓練を行います。決して、どこが間違っているかとは指摘しませんよ(「ここが違うね」…とすぐ指摘しちゃう人がいますが、やめたほうがいいです。というか、その先生は生徒に何を教えようとしているのか意味がわかりません)。
そこで見つからないようであれば、次のステップとしては、生徒の状況によって異なり2種類あります。
○1つ目:範囲を限定して、ヒントを出す
「この範囲のなかで間違っているね」
と…。
要は、見るべき内容を全体から部分へとシフトさせて、生徒の考えるべき対象の量を限定してあげます。そうすると、思考しなくてはいけない量が減るので、生徒はラクになります。もちろん最終的には、全体から見つけ出すまで訓練しなくてはダメです。
ちなみに、もう2個目なので、この時点で青丸はもらえません、緑丸になります。
生徒に話すときは、「2つ目のヒントはねぇ…」もったいぶってみることもすごく大事。2つ目を言うと必然的に緑丸になるので、一生懸命探そうとしますよ(^^)
○2つ目:ミスの探し方を教える
「この変形はあってる?ここの変形はあってる?」
と…。
探し方を知らないケースに必要な発問です。特に、自分の頭のなかでぼーっとただみているだけの子には絶対に必要。見つからない子のたいはんはどうもこのケースが多いような気がします。
なので、思考そのものを言葉として、生徒に見せてあげます。教える側の人間なら、こんなことを意識しなくとも自分で探すことができますが、子どもたちにはこれができません。なので、どうやって思考して探していくのかを一つひとつ見せることが大事です。
そのために発問を用いて、生徒に考えさせます。
ちなみに、もう2個目なので、この時点で青丸はもらえません、やっぱり緑丸になります。
…と、ちょっと趣旨がずれましたが、具体例があったほうが伝わりやすいかと思って…
そんなことをしながら青丸と緑丸を導入することによって、生徒自身に解決させることを前提とした指導を他の先生たちもできるように考案中です。
本当はウラの意図まで理解した上で使ってほしいけど、そのレベルまでいける人はほとんどマレです。
だったらせめて指導する側の人間が知らなくても、最終的には生徒の思考力が鍛えられればいいわけだから、そうなるような方向性で指導の手順化を図ることが大切ではないかと思ってます。
とありあえず…
「あの人が言っていた指導を使ってみた」
というレベルで、その指導の裏にある意図を知らなくとも、できればOKという評価で考えてます(LFLの勉強会ではきちんと伝えます)。
こう書くと反感を持ってしまう方もいるかもしれませんが、実際にはほとんどやらない方ばかりな世の中を考えれば、やっただけでも評価できるのはないかと思います…
本を読んだ人の9割以上は実行しないみたいだし…
ということで、現場レベルでの試行錯誤は続きます…
LFLの家庭教師は、日本最強の集団を目指しますので、よろしく。
これまでおざなりにされてきた部分をきちんと行って、あたり前のことを当たり前にやって、当たり前のように実績を出しますよ。
意味のわからないウソ統計を使って、それをウリ文句にするんじゃなくて、真の意味で誰が見ても変わったと言える…そんなのが当たり前の集団にしますので。
p.s.
お問い合わせ頂いてます(^^)
ありがとうございます!
あっ…
ゲーム性については、塾とか家庭教師とか民間機関の教育機関では比較的受け入れてもらえやすいんだけど、公的機関の教育のプロフェッショナルの方々には批判の的になったりもします…
何が問題になるかというと、勉強する目的が、ゲームの点数になってしまうということが問題になるんですよ。
そもそも勉強する目的は、学習することであるはずです。
点数を取ることでも何でもありません。
なので、その本来注目されるべき目的がズレてしまう…
テストの点数とかも一緒です。
勉強は学習することが目的であるにもかかわらず、点数を取ることが目的になってしまうケースがあります。
本来は、学習することが目的でその結果としての点数であるのに、点数を取ることが目的で、そのために学習する、という目的と手段の逆転現象が起きます…
ここら辺の問題はすんごくやっかいで、民間系ではどうしてもニーズが点数を取ることになりがちなので、それに応えるために、点数を取ることを目的に学習させるという意識のもとに教科指導を行うことになってしまって、結局そういう思考の先生に教わった子供たちは、必然的にそう物事を考えてしまうようになって…
それに対して、真面目に教育を考えている学校の先生たちは批判するわけですが…
う〜ん…
どっちがダメというわけではないだろうけどなぁ。。。
学習したことが定着しているかどうかをテストという形で、数量化することもやっぱり必要であることには変わりないから。
私の場合は、このあたりの問題をうまく回避するための指導法を持っているつもりです。
今日は書きませんが…
一応、LFLの勉強会でそのうちお披露目しようかとは思ってます。
ヒントは、テストそのものに焦点を当てるのではなくて、焦点をちょいとずらすことです…
↑抽象的すぎです(笑)