完全な平和が実現した世界で、
大人たちが作った「ショーとしての戦争」。
そこで戦い、生きることを決められた、
子供たちがいる。
思春期の姿のまま永遠に生き続ける彼らを、
人々は≪キルドレ≫と呼んだ
空と地表の境で繰り返される、終わらない、
愛と生と死の物語。
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映画「スカイ・クロラ」を見てきました。
こんなに大きなテーマについて、書けるほどの力量を私は持ってないです…。
でも、とても面白かった(^^)
こういうテーマすごく好き。
というか…
押井守さんの映画好きです。
個人的には、「崖の上のポニョ」よりも好きかな?
個人的な考察をちょっと。
・キルドレは16歳〜17歳の思春期
・キルドレは成長することをやめた子供たち
・生き続けることしかできず、戦争で死ぬしか道はない
・死んでもまた生まれるが、たぶん?そのまま生まれる。1歳とか2歳とか、そういう時代を経ない。
・平和を保つためには、戦争を作り上げるしかない。人は事実としてでないと実感が持てないために、わざと戦争をショーとして用意した。そして、そのためにキルドレを用いる
映画の随所に考えてほしいテーマなんだろうな?と思わせる言葉がたくさんありました。
学校教育の中でも、道徳の授業のなかで扱いそうなテーマが盛りだくさんでしたよ。
こういうのは、もちろん教育というスタンスで行っているわけではないんだろうけど、映画教育?という新しいジャンルを作って、使えるのではないかと思ってます。
でも、一般的には、教育のための教材として映画を使おうとすると、それに興味のある人しかみようとしないから、わざとそういうことを言わないのかなぁ…とも個人的には思います。
教育という単語を入れただけで、拒否反応示す人もいるから…
映画であれば、すんなり受け入れられるということもあるからね(^^)道徳の授業はダメでも、映画からOKというかなんというか…
考えてもらいたいテーマは同じであっても、伝えるための手段はいくらでもあります。授業だってそうだし、部活だってそうだし、学校の委員会だって、なんだってそう。
娯楽という位置づけの映画であっても、こういうテーマを扱い続ける押井守さんには、今後もぜひがんばってほしいと私はひそかに応援してます(^^)
むしろこういう娯楽ジャンルにほど、こういうテーマを入れてほしいです。
16歳〜17歳ってほんとに思春期ですよ。
私もこの時期は、生きてるのか死んでるのかもよくわからなかった時期でした(笑)。今年で26歳になるから、もう10年くらいも前になるのかぁ…
この時期は、人には言えないこともたくさんしたし、いっぱい人生について考えた。
・なぜ生きるのか?
・自分が存在する意味はあるのか?
・どうして生まれてきたのか?
・どうしてこの時代なのか?
・なぜこの両親のもとで生まれたのか?
・どう死にたいのか?
ちょうど高校2年生の17歳でした。
これらのテーマをずっと考えてた。
学校の授業はそっちのけで…
(クラス授業を抜け出して、サボって、一人で空をひたすら眺めてたときもありました。←あっ、真似ちゃダメですよ。ちなみに、担任に呼び出し…)
先日も言われたんだけど、私はどうも『挫折経験のないエリート講師』のように見えるらしいです。
これについては、「違います」とはっきり言えます。
どれだけ挫折したかって。
何度悔しくて泣いたのかわからないですよ。
大手塾でも、教育実習でも、大学院でも、誰もいないところで悔しくて悔しくて悔しくて悔しくて泣いてます…
たぶん皆さんが想像を絶するくらい、わからないくらい失敗も挫折もしてます。
でも、そのたびにがんばってるだけです。そしたらいつの間にか想像もしなかったレベルのことをしていた…というだけにすぎません。これ本当です…
すみません。
話を戻して…
空と思春期って何かつながるのでしょうか?
高校2年生のとき、私も空をみていることがすごく多かったんですよ。
そして何を考えているのかと言えば、空と自分をいつも比較していました。大好きな真っ青な空。私は、雲ひとつない真っ青な空が大好きでした。
そしていつもこう思ってました。
「こんなに大きな空に比べたら、自分はなんてちっぽけな存在なんだ」
自分の視界には、雲ひとつない空だけです。
雲がひとつもない空を見ていると、だんだんと視点をどこにあわせたらいいのかよくわからなくなっていきます。
自分がまるで空のなかにいるのか、吸い込まれていくのか…よくわかりません。
空がほんとに好きでした。
そして、ずっと考えてました。
・なぜ生きるのか?
こんな大きな空に比べたちっぽけな存在である自分は必要があるのだろうか??
もちろん、答えは自分で探す必要がありました。
誰かが言ったことをそのまま自分の答えにしてはいけません。それでは、結局他人の生き方をそのまま自分の生き方にするだけであって、自分という人間でありながらも、結局は他人の人生という認識になってしまいます。自己矛盾が起きるのも時間の問題です。
自分という人間は自分の人生を歩まないと。たぶん、この17歳という時期を境に、自分の人生を歩み始めたのかもしれませんね。それまでは、他人の言う通りにすることが自分の人生だった。自分から答えを見つけ出そうとしたこの瞬間に人生が変わったのかもしれません…
*誰も答えを差しのべなかったことに本当に感謝してます。あの時期にもし誰かが変に気を使われて答えらしきものを答えとして提案されて、しかも納得してしまっていたら、私はまだ中途半端に闇の中だったかもしれません。昨年、私の知り合いの東大法学部の卒業生が自殺しました。たぶん彼もこのテーマをもっともっと小さい頃に考えるきっかけがあれば…と個人的には思ってます。子供の頃に”神童”と呼ばれた彼にどうにか数多くのきっかけさえあれば…(だから学校教育が大事なのに、その私立学校は…名称を出しませんが。あんな学校はやめた方がいいのに)
自分の人生である以上、答えは自分で考える。
それしか道はないんですよ。
そして、私の出した答えは次のものでした。
・人の役に立つ人になりたい
・人の役に立つ人生でありたい
・生きててよかったと思いながら死にたい
・心からありがとうと言って死にたい
それが今の自分を形成しているのは言うまでもありません。
人の役に立つの”人”とは、子どもたちのことです。教育は、人の人生を変えるだけの力を持っています。良くも悪くもできます。
教育によって、人の人生が変わる。変化する。
人の役に立つという私の人生のテーマにぴったりでした。
それからは、迷うこともなく、大学時代からはひたすら塾に予備校に家庭教師に、教育実習やら、大学院やら、会社設立やら…と現状に至ります。
・なぜ生きるのか?
⇒人の役に立つために生きたいから
これが私の人生です。
みなさんの答えは何ですか??
・なぜ生きるのか?
自分なりの答えを持つことは、ほんとに大切なことだと私は思ってます。
p.s.
≪キルドレ≫についてですが、私の予想だとたぶん以下の略です。
・生きる奴隷(イキルドレイ)
という言葉から作ったんじゃないかな?って思ってます。
正確なことはわかりません。パンフレットとかを読んだわけでもないし、そもそも公表しているのかもわからないけど…
キルドレは、生き続けることしかできない。たぶん”生”の奴隷になってるという意味で、キルドレなのではないのかと…
”生”を授かった以上は、本来は自分の”生”である以上は、自分から意欲的に目的を持って取り組んで人生を作り上げていく必要があるのに、運命が勝手に決められてしまっていて、さらにはどうしようも変えられない…
”生”の奴隷
この運命を変えるためには、ショーとして戦争を成立させている根本を変える必要があって、それが映画の中で出てくる”ティーチャ―”を倒すことなんだろうな。
ファーザーと言ってたけど、この仕組みを作った生みの親なのか?
よくわかりませんが…
また見たいな(^^)
あっ…
映画館で隣に座ってたカップルの女の子…
たぶん10代の高校生くらいだったと思うんだけど、寝てたね。。。
せっかく”生”について考えるチャンスなのに…
p.sのp.s
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