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2009年04月07日

「やればできる」の危険性@

「やればできる」とはよく言うけれど、この「やればできる」という言葉を子どもたちにかけることによる起きうる問題について、言及している書籍を見かけないのはなぜだろう??

私の知識不足かな…??


物事にはリスクが常が存在していて、そのリスクを認知しながらもやるのか、それともそのリスクを認知できず(もしくはそもそも認知しようともせず)にやってしまうのか、というどちらを実感しながらやるのかでその後の成果に変化が出てきます(正確には、後者を認知していたらリスクを意識していることになるから、そもそもそういうことすらも思わない)。

リスクが常に存在する以上は、もちろんそのリスクを認知しながらそれを回避できるように意識的に働き掛けて行動に移すわけで、子どもたちへのお話でよく出てくる「やればできるんだから」についても同様です。



えっと…

本題に入りますが、そもそも私は言葉には捉え方の違いがあることが前提としてあって、人によって同じ単語であっても、その解釈が異なると思ってます。

「勉強」という概念の伝達でも書いていますが、そもそも「勉強」という単語一つとっても、その子にとって捉え方が全然違うわけで、
勉強は机の上でするものだと思ってる子もいればどこでもできると思ってる子もいるし、勉強はテストでいい点を取るためにするものだと思ってる子もいれば、将来やりたいことがあってそのためにやるものだと思ってる子もいる。

勉強は「勉強はつまらない」「勉強は苦しい」「勉強なんて嫌い」と思う子もいれば、「勉強は楽しい」「勉強がおもしろい」と思う子もいる…

そもそも勉強するって何なのかがよくわからない…ことも(^^;)



で、この「やればできる」ということを子どもたちに話す場合に、リスクとして認識しておかなければいけないこととして、「やる」と「できる」にはそれぞれレベルがある…という問題があります。

今回は、「できる」のレベルについては書きませんが、現場においては「やる」のレベルがその子によって全く異なっていることを認識しておかなければいけません…


Aさんにとっての「やる」とBさんにとっての「やる」には、同じ「やる」でも、その意味合いが異なることを前提として捉えていかないといけないんだけど、どうもそれを同一視してしまうことによる問題が現場で多発してるんですよ…

この「やる」の同一視によって起きる"子どもたちの自信喪失"が後を絶たない状況を見ていて、いつもどうにかできないものか…と実感してます。

ほんとは「やる」を数量化すれば、もっと明確にその違いがわかるんだけど、そんなことをせずにそのまま自信喪失につながってしまってて…ほんとに悲しいです。



よくこんな会話が繰り広げられてます。


Bさん「やればできるよ!」
Aさん「わかったよ。やってみるよ」

Aさん「やったけど、できなかったよ」
Bさん「もっとしっかりやればできるってー」

Aさん「またやったんだけど、やっぱりできなかった…」


Aさんは、こういう会話をBさんとしているうちに、「やる」という概念と「できる」という概念がどんどん離れていって、そのうちに「やってもできない」という思考を持つことになっていきます。


そして、最終的には…

Aさん「やってもできないんだから、やらなくても一緒だよ」


こうなってしまったら最後です。

当然もっとやらなくなって、深みにはまって、負のスパイラルになっていく…

こうなったら集団授業は意味をなさなくなる可能性が大で、プロ中のプロの個人指導を受けたほうがいいと思うけど、この負の思考スパイラルは今後のその子の人生を生きていく上では、負の財産として残っていしまいます…


だから、こうなる前にそもそもの「やる」の違いについてを、認識しておかなきゃ…です。


まず、"やる"と"やらない"というのは、自分が行ってきた事柄を2分割にしている(数学の世界だと場合分け、問題解決の世界だとMECE)わけだけど、どこで2分割にするのか、その基準がそれぞれ違います

たとえば、1つのことだけであれば、1つしかないので、"やる"と"やらない"は明確で、どの人の判断であっても一緒ですが、そもそも1つだけ…という状況はそもそもないわけで、10、100、1000と数多くあるなかでの"やる"か"やらない"が一般的です。

この複数あるなかにおける"やる"と"やらない"になると人によって判断が異なってくるのが根本的な認識の問題なってきます。

(たとえば、100やることがあったとすると、100やった人が「やった」といい、0やった人が「やってない」…ということは現実世界ではあまり起きえないわけで、0〜100の間のなかにほとんどの人が入るんだけど、この間でどのラインからが「やる」で、どのラインまでが「やらない」のか…ということです)



たとえば…
概念的ではあるけど図示してみますね。

やればできる@.JPG


ここに、すべてのやるべき事柄があるとして、これについてどこまで行うと"やる"になるのか、"やらない"になるのか線引きが異なっていて、たとえばAさんの場合は上記のようになります。Aさんの場合は、上記の黄色と水色の境目の部分で「やる」と「やらない」が別れます。(図は、過去形で"やった"と"やってない"にしてます)。
*現実世界では、正確には"すべてのやるべき事柄"そのものも、その子の認識される内容によって異なります…


また、同様にBさんの場合を図示してみます。

やればできるA.JPG

そうすると、Aさんにとっての"やる・やらない"と、Bさんにとっての"やる・やらない"を比較すると、次の3つに場合分けできますね。

やればできるB.JPG

・領域1→Aさんの"やる"とBさんの"やる"
・領域2→Aさんの"やる"とBさんの"やらない"
・領域3→Aさんの"やらない"とBさんの"やらない"


領域3における"やらない"は、AさんとBさんそれぞれが同じやらないという認識なんだけど、問題となるのは、領域2のときで、この領域2の狭間にいることによって、「やってもできない」とAさんが学習してしまうリスクがあることになります…







つづく…



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p.s.
またまたここでお褒めの言葉をいただきました!

ありがとうございます(^^)/




















posted by yuichi_saito at 11:25| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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