今日は書こうと思っていた内容を急遽変更して、感情的になります。非論理的になります。
どうかお許しください。。。
いつもこういう話を聞けば聞くほどにムカついてくるんだけど、家庭教師派遣業者の中に潜んでる教材販売屋さん…
ほんとにそういうのはやめにしませんか??
どうして消費者センターの間で噂になるほどまで広がってるのに、やめないんですか?どうして注意まで入ってるのにやめないの??
子どもたちを何だと思ってるの?
もうやめようよ、そういうの…
あのね。
そもそも子どもたちの視点に立って考えるのであれば、家庭教師を必要としている子どもたちは教材なんて必要としていないんだよ?
あまり言葉が好きじゃないけど、家庭教師の需要は学年を考慮しなければ、トップクラスとボトムクラスと極端に二極化するわけだけど、ほとんどの場合はボトムクラスの子どもたちに対する需要が多いじゃない?
でね。
どうしてこのボトムクラスの子どもたちはボトムになってしまったのさ?
いやいや、それは正確な表現じゃないよ。
その子をボトムクラスにしてしまったのは、保護者をはじめとした周囲の大人の責任なわけだけど、どうしてそうなってしまった現実があると思ってるの??
子どもたちの現在の状態を解決に導くために、どうやって大人である私たちがアプローチしていくのかが大事だと思うんだけど、あなたはほんとうにその教材で目の前にいる子どもたちの現状について、問題解決できると思ってるの?
そもそもそんな教材があるのであれば、誰だってほしいよ。
そんな強烈な売り込みなんてしなくたって、みんながほしくなるんだから勝手にウワサになって売れてくよね?
そういうもんじゃないの??
教材は活用できてこそ、意味をなすものだと思うんだけど、目の前にいるその子どもは、そもそも教材を本当に活用できてるの?そういう力が備わっているの?そんな力がすでにあればボトムクラスになってないよね?
その教材を活用することと、学校の教科書を活用することを比較すると、そんなにその教材を活用することのほうが簡単で効果が出るの?
そうじゃなかったら、そもそも学校の教科書だけでいいわけだから、現状の子どもたちの状態にならないわけだよね?
学校の教科書がダメだから、その教材なんでしょ?
"家庭教師の先生A+教科書"と"家庭教師の先生A+その教材"とで比較したときに、本当に後者のほうが効果があるの?
同じ先生で、異なった教材を使ったときに後者のほうが効果が出ないのであれば、その教材には価値はないよね?
ボトムクラスの子どもたちがボトムな一番の理由は、学校の教材を含めた教材類を自分で使いこなせないからじゃなくて??
使いこなそうとしているならまだいいけど、そもそも教材を使いこなそうとも思えないくらいな状態になってしまってるからじゃなくて?
あのね。
家庭教師を必要としている子どもたちは学校でつまづいているケースがほとんどなんだよ?
たとえば、そんな子どもたちにこんなこと言ったらどうなると思う?
「この教材を使えばだれでもできるようになるんですよ」
ただでさえ、自信を失ってることが多いのに、こんなことを言って、さらに成果出なかったらあなたは責任とれますか?
この子はさらにできない経験を積んで、もっともっと自信を失うことになるんだよ?
専業のプロが指導しても、誰も止められなくなるほどに自信を失うことだってあるんだよ?そういう現実を目の当たりにしたことある??
それでいいの?
本当にそれでいいの???
あのね。
子どもたちへの指導は1発勝負なんだよ。
「この教材がダメだからこっちをやろう」
「こっちの教材もダメだからこっちをやってみよう」
「ここもダメだからこっちを…」
なんてできないんだよ?
理工系の研究とはわけが違うんだよ?
失敗したら次々に条件を変えて試行錯誤するなんてそもそもできないんだよ??
その間にその子はどうなると思ってるの?
人間相手の勝負は一発勝負なんだよ?
特に、子どもたちについてはなおさらだよ…
戻れないんだよ?
教材以外もそうだけど…
「この先生がダメだから違う先生で」
「あっちの先生がダメだからそっちの先生で」
「今度の先生もダメだから新しい先生で」
こういうのもダメだよね?
もし大人がこんなことばっかりしてたら、その子はできない理由を先生の責任にするようになるけど、それでいいの?
自分を棚に上げて先生の責任に転嫁する癖のある子がいるわけだけど、そういう思考の子に育てようと思ってるの?
それでいいの?
子どもたちへの指導は1発勝負なんだよ。
だからこそ、教える側の力量が試されるわけで、ひとりひとりの先生の対応力が問われるんじゃないの?
もちろん私だって100%絶対の自信は今だってないけど、それでもどうにか一人でも多くの子にとっての問題解決に至るように思考してるんよ。
この業界は、家庭教師の育成が全くの未成熟な状態なわけだけど、私はだからこそのLFLだと思ってます。
だってさ、採用だけうまくたってダメでしょ?
採用がうまいところもたくさんあるけど、それだけじゃ社会が発展していかないわけじゃない?
採用のうまい会社は、すでにある社会のお陰で成熟してきた人たちを単に採用してるだけじゃん?それ以上でもそれ以下でもない。それだけ…
これじゃ、単に社会の恩恵を受けて、うまく成長してくれた人を採用して、その甘い蜜を吸ってるだけじゃん?
ある意味ではずるいよね。
誰かが育成したり、教育する必要があるんだよ。
でも、家庭教師の業界は誰もそんなことをしようとも思わなかった…
だから今の現状があるわけでしょ?
だから廃れた業界になったわけでしょ?
はぁ…
どうにかしてこの業界を変えたい…
泣きたいほどに変えたい…
変えたい…
そのためにはもっともっと私自身に力が必要なんだよ。。。
それはわかってる…
もっと賢くなりたい。
もっと強くなりたい。
もっともっと力がほしい…
圧倒的な実力がほしい…
一人の人間の人生がかかってるんだよ?
別に私は人生80年なんかいらないよ。
半分の40年でいいから、その分能力を2倍ください…
はぁ…
p.s.
日本の学力が他国に比べて下がってる…とはよく言われますよね。
この問題を解決するにはどうしたらいいというと…
平均点をあげるためには、学力の底辺層を減らすことがもっとも重要なんですよ。
くれぐれも間違えないでほしいのは、上位層を伸ばすことじゃないからね。それをやるのはあと。先にやるべきは底辺層をのばすことです。
フィンランドをはじめとした優秀な学力を持つ国は、みんな学力の底辺層が極端にいない…というのが周知の事実なんだから。
本当だったら学校でフォローできればいいんだけど、それができていないから現状があるわけで、そうしたらやっぱり民間の教育機関が出てくる必要があって…(学校の先生たちに対する教育は私の仕事ではなくて、大学院でお世話になりました教授ががんばるからお任せで…)
日本の多くのボトムクラス全般を担っている民間教育機関が家庭教師業界に相当するわけです。
だから、家庭教師業界を変えていくということは、そのまま日本の学力の平均点をあげていくことになるのね。
そうすると日本もきっと世界の日本の返り咲くはずだから…
ちなみに…
私が大学時代に大手塾で校舎別の模試偏差値の平均で1位を取ったときも、上記と同じ戦略を取りました。
底辺層になる子がいないように、落ちこぼれる子がいないようにフォローするような仕組みを作って授業を展開してたから、偏差値の平均が1年間で50から60くらいまで一人当たり10も伸びたんですよ。しかも無試験で入塾してくる60名も…
ボトムクラスの子どもたちを少しでもできるようにしていくことが今後の日本が変わっていくきっかけになってます。
だからこそ、この業界を変えていかないと…
さらにさらに…
なぜ私が子どもたちの"変化の差"を実績と言っているのかもこことの関係性があります。
なぜ合格実績ではなくて、変化の大きさなのか、ここまで読んでいただいた方はわかりますか?
また長くなるけど、もう少しお付き合いください…
簡単に言うと、たとえば「偏差値10アップした」と言っても色々あるわけです。
・偏差値60→偏差値70
・偏差値50→偏差値60
・偏差値40→偏差値50
・偏差値30→偏差値40
で、この場合だと難しいのは、
・偏差値60→偏差値70
です。
・偏差値50→偏差値60
とか、
・偏差値40→偏差値50
とか、
・偏差値30→偏差値40
とかは上記に比べれば楽なのね。
合格実績を売りにすることになると、当然塾やら予備校やらの先生たちは
・偏差値60→偏差値70
を目指すことになります。
・偏差値50→偏差値60
・偏差値40→偏差値50
・偏差値30→偏差値40
こういうのは置いておいて…
そしたらダメでしょ?
底辺層を上にあげることこそ日本の向上に繋がるんだから。
そしたら、
・偏差値30→偏差値40
とか、こういう実績を出す人を褒めてあげるような仕組みにする必要があります。
現在の民間教育機関の実績の打ち出し方では、上記の実績が陰に隠れて褒めてあげられるような仕組みになってないです。
先生だって人間なんだから、褒められたらうれしいです。
必要とされたらうれしいもん。
だからこその、"変化の差"が大事なのね。
そこを評価してあげれば、一般的には偏差値の低いとこからのほうが伸びしろが大きくなる可能性があるんだからたくさん評価してもらえるでしょ?
・偏差値60→偏差値80
という偏差値20の伸びはムリでも、
・偏差値40→偏差値60
という偏差値20の伸びはできるから。
だからこその"変化の差"の実績が大事なんですよ。
先生たちの多くが"変化の差"こそ実績だ…と思う人が増えていけば、変化の差を出しやすいボトムクラスの子どもたちへの指導をしたくなっていきます。
そうすれば、従来の優秀な先生は優秀な生徒を相手に難関校受験対策をする、という構図が変わっていって、優秀な先生こそボトムクラスの子どもたちを指導する…という構図に変化していきます。
だって、"難関校合格"じゃなくて、"変化の大きさ"こそが実績として評価されるんだから。その"変化の大きさ"を生みやすいボトムクラスへ力を注ぐようになるもん。
↑でも、上記のように言うと、ボトムクラスの生徒がそんなに上がるわけないと思ってる先生がいるのも事実なんですよ…(そういう先生は本当の実力の持ち主じゃないと思うけど)
だから、そんなことはないということを証明するために、実績としてクラス最下位の生徒を4カ月でクラス1位まで導きました。それによって、こう思う先生の論理は崩れて、単なる言い訳になるでしょ?(詳細はこちら)
クラス最下位の子が4カ月でクラス1位になったわけだから、これによって理論上はクラスのどの位置付けにいたって、先生の実力次第でクラス1位になることが可能なわけです。
私がLFLで"変化の大きさ"を実績として定義しているのは、そういう理由があるからです。
実績をどう定義するのか?という、根本的な定義そのものの問題が最終的には子どもたちへの指導へ影響してます。
そこが変われば日本が変わる。、
そうすれば、日本全体がよくなって世界でトップレベルを維持するようになるから。
うぅ…
今後の日本のためにもがんばらないとだ…
どうかLFLを応援してください。
目の前の子どもたちのために、日本のために、がんばります。
人気教育ブログランキング☆
人気教育ブログランキング☆
人気教育ブログランキング☆