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2010年02月06日

禁止と無 ⇒ 「明文化するほうがいいのか?」 VS「何も触れないほうがいいのか?」

社会・学校・家庭など、ある団体内で行動する際には、必ずルールがあります。

そこに関わる人たちがお互いに気持ちよく行動するのにルールを設けて、そのルールに沿った行動が求められます。

たとえば、
「○○は禁止」
「○○はいけません」
という形でやってはいけないことを明文化しておき、それらを守ることでお互いに気分良く行動できます。


しかし、ここで問題が起きます。

たとえば、学校生活の中では、
「茶髪禁止」
「ゲーム持参禁止」
「マンガは持ってきてはいけません」
といったルールを設けたとしても、わざとそれらを守らない子どもたちが必ず出てきます。


「ルールにあるから、守ろう!」
という子がいる一方で、
「先生にばれなきゃ関係ないし。持っていっちゃえ!」
と思う子もいる。

もしくは、ばれないように持っていくことにスリルを感じて、わざと隠れてそれらをしようとする子もいる。


そうすると、実はルールを設けないほうがいいのではないか?ということも出てきます。


要は、無の状態です。
特に何も触れず、わざと明文化しないのです。


もともとの目的は、そういったことが起きないようにすることなので、そうすると、たとえば、1000人の生徒がいたとして、ルールを設けた場合のそれを行う人数が5人だとします。

そういったルールをわざと設けなかった場合のそれを行う人が3人だったとすれば、ルールを設けないことのほうが目的をより達成していることになります。


人間は気付かなければ、当然ながら、それを行うことはできません。

とすると、
「○○は禁止」
「○○はいけません」
という明文化は、わざわざ気付かせることをしている可能性があるのです。




だから、あることを達成しようとする際には、次の比較を行うことが大事です。

「明文化するほうがいいのか?」

「何も触れないほうがいいのか?」



会社や学校でもそうだけど、通常はそれぞれに独特の文化があります。

特に明文化されていなくとも、そうなっている現実があって…という場合には、それはある意味で明文化されてないからこそのものになっている可能性もあります。

↑何も触れないほうが、狙い通りになる現実からあるから、わざと明文化しない、ということです。




「明文化するほうがいいのか?」

「何も触れないほうがいいのか?」

という選択はとても難しくて、組織を作り上げていくような立場にある人にとってはとても大事な命題です。

↑組織を作り上げる…というと難しそうですが、ほとんどの人が当てはまります。たとえば、家庭を持っている方も当てはまります。

幸せな家庭を築く上で、もしくは、子どもを教育する上で…

果たしてこれは明文化するほうが目的達成しやすいのか?もしくは何も触れないほうが目的達成しやすいのか?など、考えてみてくださいね。




私もこのあたりのことをもっと考えなくちゃな…と試行錯誤中です。



LFLで生徒指導する際やカウンセリングを行う際にも、そんなお話をすることがあるので、ちょっとご紹介してみました(^^)/


何かの参考になれば!


ではでは〜(^^)/






posted by yuichi_saito at 15:20| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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