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2010年04月13日

「余計なことはしない」が余計になるとき

「余計なことはしない」

効率を重視していくと、この考え方が基本になる。

「余計なことはしない」


ある目的に向かう場合、それに対する余計なものはばっさりと切り捨てていくことで効率よくその目的に向かっていくことができる。



でもあるところで、それは実は効率的でないかもしれないことに気が付く。


ある目的に対して効率的であることは、また別のある目的に対しては効率的でないんだよね。



だから、もしその目的が一時的なものであって、一生涯に渡った目的でないとすれば、その目的が変わったときに、「何やってたんだ?」となることになる。

効率を目指して取り組んでたのに、効率うんぬんどころではない…と。




「余計なことはしない」

の余計とは、目的に対する余計さだから、こういうことが起きるんだけど…

結局、目的がブレると何が余計なのか?が変わるからね。




私は少なくとも5年近くは
「余計なことはしない」
を貫いてきました。


その中で、
「もっと寄り道してみたら?」
と何度も言われてきました…


で、ちょっと思考を変えてここ数か月間くらい多少の
「余計なこともしてみる」
と思って今までより実践してみました。

そしたら、結局それは余計なことではなかった(^^;)


その"余計なこと"は、あるひとつの目的に対しては確かにそうだったんだけど、結果として他の目的に対しては余計なことではなかった。



本来は、"目的ありきの余計さ"なんだけど、余計なことをしたことでその余計さから自分で本来の目的とは違う目的を感じたから、余計なことではなくなったんだ…



「ある目的があってそれに対して余計なものかどうかを判断する」という思考ではなくて、「余計なものをしてみて、その余計なものが余計でなくなるようにその目的を考える」という思考であれば、それは余計なものではなくなると肌で実感しました。


↑当たり前かっ!



う〜ん…


また新しい学びを得たような気がします。


私は、こういった学びそのものはどんなものであっても余計なものにはならないと思ってるから、結局学びにさえなればどんなものでも余計なものなんてないんだけどね(^^;)


というか、それこそがLFLの「Learning For Life」「Life For Learning」という理念にもなると思ってるんだけどさ。




ということで、今日は抽象論だったけど…


どうでしょうか???










posted by yuichi_saito at 10:07| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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