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2010年06月12日

「私は○○でした。だから××するのです」 〜主観的正しさと客観的正しさ〜

教育の話になると、よくこんな人がいる。

「私は○○でした。だから××するのです」


その度に、
「えっ?」
って思うことが多々あります。


人は自身の経験から導かれた"正しさ"を前提に考えてしまう傾向にあるのですが、そもそもその経験から導かれた"正しさ"は本当に他に人にとっても"正しさ"になりうるのか?という問題があります。

経験に裏打ちされたものってその人の情熱がこもっているケースが多くてその分説得力があるのですが、その経験から導かれた"正しさ"であるだけなんですよね。

だから、こういう人の場合は、違う経験をしていたら、また違った"正しさ"を主張します。


まず、大前提としてあらゆるすべてのことを人生の中で経験することなんて不可能です。

現状の全人類の経験をある一人の人間が経験するなんて無理だし、ましてや過去も含めたらそれこそもっと不可能になっていく…


自身が経験したことがベースになっていてそれを訴えるのは一向に構わないけど、それはそれ…というだけにすぎません。



だから、申し訳ないけど…

「私は○○でした。だから××するのです」

というケースは本当に教育のことを考えているのかなと疑問に思ってしまいます。



ひとつ例をあげますね。

「私は無理やり勉強させられました。だから子どもには好きなときに勉強させています」

という保護者の方がいるとして、そんな親に育てられた子がゆくゆく大人になったときにこんなことをいうことがあります。

「私は好きなときだけ勉強してきました。だから子どもにはしっかりと勉強させたいのです」


で…

さらに、こんな親のもとで育てられた子どもが大人になったときにはこんなことを言います。

「私は無理やり勉強させられました。だから子どもには好きなときに勉強させています」

さらにさらに、こんなことが起きます。

「私は好きなときだけ勉強してきました。だから子どもにはしっかりと勉強させたいのです」



…(^^;)


これ、どうなってるかわかりますか?

あくまでも極端なモデルケースで、前提として自身の受けた教育に満足していないことを想定しているけど、悲しいかな繰り返してます。。。
(自身が受けた教育に満足してると、子どもにも同じことをさせようとするので)




だから、なんというか…

「私は○○でした。だから××するのです」

というお話には要注意して聞いてます。

もちろんひとつの動機として、自身の経験がベースになるのはとても大事なことだと思ってます。

でも、だからといって、それをベースに子どもにその教育を施すことが良いことなのか?というと別次元のお話だから。

そこは再度吟味しないとダメだよね。





なんだか現場で話を聞いていると、とても複雑な気持ちになるときがあります。。。

う〜ん…

でも単に嘆いてるだけじゃしかたないですからね。

LFLは今日もがんばります!






posted by yuichi_saito at 10:13| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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