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2007年07月24日

多角的なアプローチをするために☆

仕事が山済みです。

山済みすぎて前が見えなくなりそうです…
物理的な前ではなく、時系列的な前(将来)です。

前って表現すると、過去のことみたいな印象も受けるな・・・(笑)




そんなことはおいといて…


そうそう。
最近、気になる家庭教師団体があります。
何が気になるかというと…


以前、うちのグループで活動していた人は突如やめてそちらの団体に移ったんですよね…

しかもその家庭教師団体の立ち上げに関わっていて、その家庭教師団体のHP内容を読むと明らかに私のグループを真似てる形跡があるんですよ…



そっくりすぎっ!!




これって訴えられるのかな?


どこまで保証できるのか知りませんが、とりあえずショックだった。システムを真似るんかーって。



まぁ、ある意味で真似られたということは認められたということの裏返しでもありますからね。


でもどこまでノウハウをブログに書くべきなのかを考えるきっかけにはなりました。基本的には、良かれと思って完全オープンにしてますが、さすがに企業に真似られると腹が立つ。


個人で活動されてる方にはいくらでも提供したいとは思うけど、真髄も知らずに形だけまねてそれをウリにしようとする企業にはちょっとね…




友人にその会社のHPチェックしてもらいましたけど、このブログに書いてるようなことがいっぱいあるって言ってた(^^;)


はははっ








えっとー
またパクられるかもしれませんが、私のグループで行ってる相互評価研修をちょこっと見せちゃいますね。(人を大切にしているので、形だけまねても無理だとは思いますが…)


でも、そのままパクられるのやっぱりイヤだから形を変えてみせますよー






[4]試験で間違った問題のポイントを答案用紙に書き込む
なお、[4]のステップが入っているのは、試験では出来なかったけど、解きなおしてみたら出来た問題が含まれていたからです。
この大問の主な出題範囲は、教科書本文のキーセンテンスでした。指導時間内も含めて、試験前に何回も確認した範囲でしたが、試験で得点できるまで理解・暗記を深められなかったようです。
その結果、試験では、問題を目の前にして、「勉強したのは覚えているけど、答えが分からない」という状況だったそうです。
また、今回は「青ペンでの整理」がスムーズに進んだですが、これも理解が「ある程度まで」深まっていたおかげだと思います。
自分でポイントを整理する力、整理しようとする意欲が少し伸びてきているようですね。
基本的には、これまでの指導で繰り返してきたことです。
しかし、○○くんの英語力が成長してきているので、同じことを繰り返しているようで、以前よりも、わたしの強調したいことを消化してくれているように感じます。
(抽象的な表現で申し訳ありません。分かりにくかったら、ご遠慮なくお尋ねください。)


○コメント:
[4]のステップは、○○さんも言われている通り、「自分でポイントを整理する力、整理しようとする意欲」がないとなかなかできない課題ですね。「勉強したのは覚えているけど、答えが分からない」は良くあることですが、生徒の成長段階に合わせてうまくこのステップを復習に組み入れているのはさすがだなと思いました。
また、「生徒の成長に対する実感の記述しにくさ」は私も感じます。生徒に対して言っていることは変わらないけど、生徒がそれをどのように受け止めるかは、成長に合わせて変化していきますよね。それを保護者の方に伝えていくのは難しいことだと思いました。やはり、授業が終わったあとなどの、保護者の方との会話を大切にしていくしかないと思います。








引用:

、「生徒の成長に対する実感の記述しにくさ」は私も感じます。生徒に対して言っていることは変わらないけど、生徒がそれをどのように受け止めるかは、成長に合わせて変化していきますよね。それを保護者の方に伝えていくのは難しいことだと思いました。やはり、授業が終わったあとなどの、保護者の方との会話を大切にしていくしかないと思います。




そうですね。

指導報告のこの部分は、一度、文字で書き上げてみたんですが、むしろじっくり読まないと分からない内容になってしまったので、「(抽象的な表現で申し訳ありません。分かりにくかったら、ご遠慮なくお尋ねください。)」と書きました。





○○さん、○○さん

ありがとうございます。


@生徒の成長に対する実感の記述しにくさ

A授業が終わったあとなどの、保護者の方との会話を大切にしていくしかないと思います。


私的には上記の2つが繋がらないように感じました。

確かに記述する難しさもありますが、記述できない状態で保護者さまに現状を伝えることができるのか?という疑問があります。


基本的な私の考えとしては、記述できないとお話することもできないよね…ということがあげられます。


もちろん全部の内容を記述することは不可能です。(そもそも全部とは何を指すかもよくわかりませんが…)



よく「セミナーに参加するくらいなら書籍を読んだほうが勉強になりますよ」と聞いたりすることがあります。

対面であれば、その場で即フィードバックすることが利点ではありますが
内容がまとまっているとは言いがたい気がします…



私なりの意見を書いてみました。
何かあればご意見いただければ幸いです。








引用:

対面であれば、その場で即フィードバックすることが利点ではありますが、内容がまとまっているとは言いがたい気がします…


これもまた記述するのが難しいことなのですが、「内容をまとめる」という伝達方法が適切な場面と必ずしも適切ではない場面があると思います。例えば、モーツァルトが音楽によって表現しようとした内容を言葉で整理して伝達するのは適切な方法とは言えません。モーツァルトの楽曲の素晴らしさを人に伝えたいのであれば、一緒にコンサートに連れて行くのが最適な方法です。


「生徒の成長」にもそれと同じような「記述しにくさ」があります。指導をして勉強の空間を一緒に過ごしていれば、「生徒の成長の実感」は何なく得られます。ところが、それを言葉で伝えようとすると、一気に困難になります。簡単な言葉で伝えようとするときちんと表現しきれない一方で、正確に伝えようとすると記述が難解になるのを避けられません。こうした難解な記述は、正確ではあっても、指導報告としては不適切だと、わたしは思います。

「生徒の成長」を親御さんにも共有してもらう最良の方法は、指導を見てもらうことだと思います。しかし、それも現実的にはありえないでしょう。そこで、次善の方法として、「指導がおわったあとの会話」が考えられます。コンサート会場を出た直後の観衆と面と向かって話したほうが、音楽評論を精読するよりも音楽の素晴らしさを「実感」できるということです。

対面して会話することの最大の利点は「その場で即フィードバック」できること、言い換えると、「時間を節約できること」ではありません。対面しての会話の最大の利点は、実感を実感として共有できることです。私たちが「生徒の成長の実感」を得ていて、それを親御さんに伝えようとするならば、そのときの声の調子、表情、身振りのすべてがその「実感」を表現することになります。この表現の豊かさ、伝えられる内容のきめ細かさ、そしてそれをやり取りできることこそ、対面して会話することの最大の利点です。


+++++++++++++++++

以上の内容も面と向かって話をしたならば、よほど正確かつ素早く伝えられると思います。




引用:

基本的な私の考えとしては、記述できないとお話することもできないよね…ということがあげられます



「記述できないとお話することもできない」という「基本的な考え」も、特定の場面では真理だと思います。しかし、こうした「基本的な考え」も適用範囲を見極めておくべきです。記述できなくとも実りある話ができるからこそ、古来、学問は対話問答によって営まれてきたのだと思います。





○○さん、ありがとうございます。

引用:

対面しての会話の最大の利点は、実感を実感として共有できることです。

でも、実感ってその人の思ってることがそのまま他の人に同じ実感として伝わってるかって保証できないですよね。

共有されていると思う一方で、受け取り方によるバイアスがかかってしまうようにも感じています(当然、記述する際にもバイアスがかかってますが)


上記のコメントを頂いて思ったのですが、○○さんは<適用範囲>に特に注意を払っているのでしょうか。

素人の私には、哲学がうんぬんかんぬん言うことはできませんが、普遍の真理を追究する際には、適用範囲を意識しておかないといけないんだろうなぁ…と繋がりました(^^;)


言葉を曖昧に使ってきた人間が言えた立場ではないですが、色々と勉強になります。


ありがとうございます。








そうですね、概念の適用範囲は個人的にかなり関心があります。概念の普遍性信仰のようなものに懐疑的なんですよね。だから、ハウツー本とか人権とかが嫌いなんですよ^^
数学者とはなかなか相容れないでしょうね。数学者はむしろ一般化、普遍化を探求しますからね。
でも、「両極相通ず」といった感じで、普遍性を疑うほど一般法則の広範囲にわたる妥当性が見えてくるものだし、一般化を試みれば試みるほどその限界が見えてくるものかな、とも思いますね。

なんにせよ、興味深かったので熱心に返信しました












こんな感じですよ。


私はそれぞれの方が持つ専門性を生かしたコメントを期待してます。

ある事象を哲学が専門であれば、哲学的なアプローチで迫る。ある事象を心理学が専門であれば、心理学的なアプローチで迫る。ある事象を教育学が専門であれば、教育学的なアプローチで迫る。ある事象を工学が専門であれば、工学的なアプローチで迫る。ある事象を数学が専門であれば、数学的なアプローチで迫る。
等など


同じ事象を多角的に考察するためにもそれぞれの専門性が大切になってきます。多角的な視点からそれぞれが評価をされることによって、一人の教師では考えもしなかった発想をすることが可能になります。

もともと人間は偏りのある動物です。
その偏りもたくさん集まれば偏らなくなる。

たくさんの人から突っ込まれで他の視点に気付く場面を提供し、そして教師がより多様性を身に付けることができれば、その分子供たちにも十分な指導を行えるはずだ…というのが私の考えです。


そのためのグループです(^^)
個人と個人がばらばらで存在していて、"単に一緒にいるだけ"というのはグループではありません。そんな単なる個人の集合体を私は目指していません。それぞれが意見交換をし、お互いに刺激を与え合い、思考の違いを理解し、それを生徒指導に生かす。そんなグループを目指しています。

たぶん、これは顔が見える範囲内じゃないとできないですね…



それではー☆






posted by yuichi_saito at 01:22| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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