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2008年03月08日

適材適所に人を配置することがほんとうに適しているのだろうか?

適材適所に人を配置することがほんとうに適しているのだろうか?

先日の大貧民から学んだこととは、今度は逆の考え方でいきます。

先日は、チーム制による大貧民で、役割分担して、チームとしての総合力が向上うんぬんかんぬん書きました。


でもこれはそのまま飲み込んでいいことなのでしょうか?一見当たり前に見えることであっても、それが常に正しいなんてことはありえない。ほんとうにこれでいいのか?



「適材適所」とはある辞書には次のように書いてありました。

人の能力・特性などを正しく評価して、ふさわしい地位・仕事につけること。



書いてあることはもっともなような気がしますね。
それぞれ得意・不得意な分野等々あると思います。それらをきちんと見極めて、その人の得意な部分を活かして仕事なり何なりができるように場を用意してあげる…


でも、これはやっぱり企業側の論理な気がしてしまうのは私だけなのかな?学校と企業とだとずいぶん異なるような気がするけど、学校教育の立場的で考えると、あんまりあり得ない考え方のような気がする。


その人の得意な部分を活かすのはいいんだけど、苦手な部分を訓練する方向でその人に接してあげないと、結局その人はその得意な部分"しか"できなくて成長しないじゃない。できることの幅が広がっていかない…




「学習する」ということをどう考えるのかにもよるかもしれないけど、たとえば自分のすでにできることを繰り返し繰り返しやることは、それは学習ではない。

たとえば、中学生だったらすでに解ける1次方程式の計算問題を「100題解きました!!」って、言ってもそれは学習したとは言わない。

それはあくまでも記憶の保持とか、スピードの訓練とか、そういうレベルであって学習ではない。これらも含めて学習といったらそれまでだけど…(^^;)


「学習した」って、これまではできなかったことができるようになってはじめて学習したっていうんじゅないかな??と個人的には思う。


そう考えると、適材適所に人を配置するってことは、すでにその人が持っている能力の部分を中心に考えて、それらを活用する形で配置することになるんだから、少なくともその部分については学習する方向性で配置してはいないよね…

仕事ではすでに持っている能力を活用して、学習は他の部分でやれ…と言われたらそれまでかもしれないけど(^^;)



う〜ん…
なんだか頭の中がうまくまとまらない…




「適材適所」という単語1つとっても、やっぱり目的が大切だということでしょうか。企業の場合は何か成功させるためのプロジェクトなり何なりがあって、そのために適材適所に人を配置するってことだろうから。

学習してもらうことが目的じゃないもんね(^^;)


学校の場合は、絶えず学んでもらうことが目的だろうから、そのあたりはやっぱり企業とは異なるんだろうな。




またそのうち書いてみます。


posted by yuichi_saito at 03:24| 家庭教師指導記録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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